アジア人初の「レッドブルレース」チャンピオン!

また一人の勇敢な日本男子が登場した。彼の名は守屋義秀43歳。

 ニュースでご存知だと思いますが、彼はプロの競技パイロット。

 

時速350キロを越える3次元のモータースポーツで「空のF1」とも称されるレッドブル・エアレースの千葉大会の本戦が65日、千葉市の幕張海浜公園の特別コースで行われ、日本人パイロットとして、ただ一人シリーズにフル参戦している室屋義秀(43Falken)が、2009年に参戦以来、悲願の初優勝を果たしました。

 守屋氏43歳とは、どんな人物なのか彼の公式HPの内容を紹介したいと思います。

 

■これまでの競技人生

室屋義秀の飛行士としての歩みは決して順風なものではありませんでした。資金も実績もなく、スタートはたった一人から。機体購入は全額借入でまかない、スポンサー回りの生活から始まりました。

やがて資金が枯渇し、練習する燃料費も出ないほどに追い込まれることに。実績もないため、国内でのエアショーのオファーもほぼゼロ。窮地に陥り、出した答えが、無償でエアショーを行うという作戦でした。なんとか燃料代を確保し、フォミュラーカーの会場で曲技を披露したのが2002年。そうして実績を作り出したことが功を奏し、徐々にエアショーのオファーが増えてきました。

2003年には米国フロリダで行われた世界曲技飛行選手権に参戦。しかし、結果は惨敗。

 世界の壁の高さを痛感し、一時、室屋義秀は曲技飛行を辞めようとまで考えたのです。実力は世界レベルだとしても、表彰台はいつも雲の彼方。そんな苦しみの中、無冠のパイロットとしての活動が長きにわたって続くのです。

しかし、地道な努力は功を奏し、2008年、アジア人初のレッドブル・エアレース・パイロットに抜擢され、翌年2009年には6位入賞。2013年には、ついに世界曲技飛行選手権フリースタイルで6位入賞。さらに、2014年には、レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップで初の表彰台を獲得(3位)。これにより名実とともに室屋義秀は世界のトップパイロットとして認められることとなったのです。

 

■室屋義秀が目指すゴールは「操縦技術世界一」

 曲技飛行世界最高峰の大会であるWAC世界曲技飛行選手権、FAIワールドグランプリ・オートボルテージュなどの国際大会に数多く参戦しノウハウを蓄積してきました。

2009年にはレッドブル・エアレースにも初のアジア人パイロットとして参戦、同年6位入賞。2013年の世界選手権フリースタイル部門では6位入賞。2014年にはレッドブル・エアレースで、自身初の3位表彰台も経験しました。

2015年の目標はズバリ世界一、そう表彰台の最も高いところを狙います。このように室屋義秀は世界の大空で、各国のトップ選手たちと“操縦技術世界一”の座を追い続けています

■室屋義秀の描くもう一つの大きな夢

それはチャレンジ精神を育む環境づくりです。環境による不利を、航空スポーツでは痛いほど経験してきました。

 特に子供たちの未来に向けた長期ビジョンを描いて活動を展開しています。

 

2003年からNPOふくしま飛行協会の理事として、スカイスポーツを通じた地域づくり活動を精力的に展開し、ふくしまスカイパークを中心に、地域振興や観光資源としてのスカイスポーツが持つ魅力を広めてきました。

2009年から開催されている全日本曲技飛行競技会にも全面協力。これまでに得た知識とノウハウを国内にフィードバックして、国内競技環境の整備や選手育成の支援も行っています。 2012年、福島県の「あったかふくしま観光交流大使」に就任。震災後の福島の風評被害を払拭し、子どもたちの未来をサポートするプロジェクトに参画しています。

 

■室屋義秀のマインド

 「少水常流如穿石」(しょうすいのつねにながれて いしをうがつがごとし)という禅語があります。これは、「雨水のようなわずかな水でも絶え間なくぽたぽたと落ち続けていれば、石に穴を開ける」という意味を表しています。これと同じように室屋は、努力を続ける、日々わずかながらでも向上することができれば、必ず物事を成し遂げることができると考えています。似た考えに1.01の法則」というものがあります。1.01×365日、そう、1日の1%である15分の向上を積み重ねることで、1年後は大きなチカラになる。室屋の武器は、このような日々の努力。この武器で、世界の頂点を目指しているのです。

また、室屋は「求道者」としてのスタンスを忘れません。辞書によれば「求道者」とは、「真理や悟りを求めて修行すること」と説明されています。曲技飛行では1度の姿勢のズレ、エアレースではコンマ01秒の差で勝敗を決します。室屋は、その差を埋めるべく、日々飛行技術の追求を行っています。この自己探求への挑戦は、ともすれば、その世界観を周囲と共有することができず、エゴイスティックな行為として捉えられがちです。しかし、自己の可能性を極限まで高め、不可能を可能にすることができれば、新たな世界(真理や悟り)が見えてくる。そして、多くの人と、挑戦する勇気を持つことへの価値を分ち合いたいと考えているのです。

 

 いかがでしょうか?室屋氏の1%の努力の可能性は別の表現だとこうなります。

毎日1%の努力が相乗効果を生めば、1.01365乗で複利計算すると1の可能性は37.8倍になります。逆に1%サボれば、0.99365乗は1の可能性が0.03になってしまうのです

日々の僅かな違いは、時と共にとてつもない違いにつながるということです。

あと一歩の日々の地道な努力を忘れないようにしたいと思います。

 

今後の室屋さんのチャレンジにエールを送りたいと思います!

 

プロフィール

室屋義秀(1973127)日本のプロパイロット。福島県福島市在住。2002年に活動を開始した競技志向型(エアロバティックス)エアショーチームのメインパイロット。2009年にはレッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップにアジア人で初めて参加した。幼少時代、『機動戦士ガンダム』の主人公アムロ・レイに憧れ、パイロットを目指す。中央大学入学後、航空部に所属し、グライダーで飛行訓練を開始。

 

1993年、20歳で渡米し飛行機のライセンスを取得。1995年に兵庫県但馬空港で行われたブライトリング・ワールドカップで帝王ユルギス・カイリスやパトリック・パリスなどの世界最高峰の飛行技術を目の当たりにし、本格的なエアロバティックスの訓練を開始する。

 

1997年、再び渡米し、ランディ・ガニエのもと訓練を積む。その後、自身初の競技会にも臨み、アドバンスクラス世界選手権では日本代表にも選ばれる。翌1998年、日本でエアショー活動開始。

 

2002年には現在活動中のエアショーチーム「Team deepblues(現在のTeam Yoshi MUROYA)」を立ち上げ、翌2003年にはアンリミテッドクラス世界選手権にも出場。同年、NPO法人ふくしま飛行協会を設立。理事の一人として、国内のホームベースでもあるふくしまスカイパークで、青少年の健全育成のための教育活動や航空文化の啓蒙活動にあたる。この年、後にレッドブル・エアレースでもチームコーディネーターとして共に闘うことになる盟友ロバート・フライとフォーメーションでエアショーを開始。

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